宮澤秀巖

語録集「我捨無心而即空書」

語録集

故宮澤秀巖先生が遺したお弟子様への師事語録の一部。
美術品、芸術品の定義。書の次元の完成。現代日本において失われた教養への警鐘など、
秀巖先生の書に対する探究・究明の姿勢が窺えます。

「我捨無心而即空書」

書をものさむとするには我捨無心にして空に書す。
只単に物体を対象物として(念頭に於いて)書すれば必ず書は萎縮する。
技法に関しては殷代迄遡り書の変遷を心して学び、亦六書の成立及び過程を基とし、文字の構成上に現るる内容を理論的に把握する。そして各時代に生きし先人大家の技法と其の人達の心の真髄の究明迄にも心し、更に四宝の資質値適応性及び度数等を知る。之等を解し更に単なる形而上学的の追求だけに停めるもので有ってはならないと云う事をも知る。現実は有中の界なるも単に其処だけに停むるならば技の書に終る。

幽の界、妙の極を知らねば心の書はかけない。幽の界、妙の極は森羅万象中現実には存在するものなるに物理化学の界ではCTにもレントゲンにも映らない。只行ずる事に據ってのみ人間に感応観出できると云う現実実体を知らねばならない。之は哲悟の領域なるにして次元値低き間は感応観出する事は出来ない。書の学びは、低次元的な用の界のみに求むるだけならば時間と材料の無駄で有る。

霊長たらむとする者は人倫の求道に生涯掛けて学ばむとする其の心が大切なので有る。之が書を学ばむとする者の学びの界で有り書道の界で有る。書写お習字書き方の段階程度に事を停める可きもので無いと云う事を重ねて記す。学びの界には終着無し。上記内意に就いては理屈知識だけに止める事なく心身を以って修す可し。

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