宮澤秀巖

語録集「二十世紀の産みし悪文化」

語録集

故宮澤秀巖先生が遺したお弟子様への師事語録の一部。
美術品、芸術品の定義。書の次元の完成。現代日本において失われた教養への警鐘など、
秀巖先生の書に対する探究・究明の姿勢が窺えます。

「二十世紀の産みし悪文化」

和を以って尊しとなす。自己虫(エゴ族)の界に和は有り得ない。只有るは争いのみ。太子の言葉は消え、真の和の解釈を履き違え、国に於いては政治家は消え政治屋が続出。孔子の言。前に立つ者は襟を正し聖なる可しの崇高なる言葉は何処に消えしか。智は善に向って働かすもの。決して悪に使用す可きものでは無い。知にだけ生きるから智は消える。

世は正に詐欺、賄賂、横領、殺人、放火、親と子と手と手を取り合って万引。善と悪の区別、判断の出来ない人々で充満。更に現在社会の実情を見るに、多くの若者の間に於いては、否定と肯定の言葉の使い分けさえ出来ない。敬語と丁寧語の区別が付かない。正しき日本語が解らない。学歴重視で学力と教養を身に付ける事を、学校も家庭も忘れて了った。家庭は残れど家族は消え、中には家庭を崩潰し、家庭をも失う者さえ出来る。終戦と同時に猫も杓子も文化だ芸術だと人々は叫び、理解し難い物さえ創れば芸術作品と稱し、書に於いても絵画に於いても此の言が流行す。完くのナンセンスで有る。学も教養も無き者の言で有る。

芸術作品とは五次元以上のもので無ければ芸術作品とは言えない。四次元の作品で美術品。三次元の段階ではまだ只単に上手い人と言えるもの。二次元の段階しか解らない者には、書にしても絵画に於いても完くの無知識者。只絵を知り文字たるものを知ったと言うだけの人々で有る。日本人の血中にはウラルアルタイ系民族の血と長江水源地帯より南移せる民族の血とが混入して居る。ウラルアルタイ系の血の文化は山嶽崇高思想。即ち神崇拝の文化で有り、長江水源地帯より南移せる民族の血は、仏念文化で有る。仏念思想を内含せる人々に更に拍車を掛けたのが隋唐時代に仏教が我が国に中国より直輸入された。其の持たらす所の影響甚大。之等二つの思想の合体が日本人の思想の根幹を為し、神仏崇拝の思想が生まれ、道を知り、人倫を知る人と成って形成された。

此の尊き思想が二十世紀に於いて失われ、人倫軽視無視の思想と化す。中国及びフランスに於ける文化は偶数を基とし元とする文化で有る。更には表示思想文化でも有る。之に対し、日本の文化は奇数文化で有り内含究明思想文化で有る。特に三を吉と考える思想でも有る。家族は三、家庭は二で有る。天地人、神と仏と人との同体思想。即ち三で有る。生け花の界に於いても、池坊では真副体の言を用ひ、体を本体と考える従の思想。即ち従来の日本に於ける家族制度にも通ずるものが有る。三は安定度数値の最も高きもの。書の次元価値々に関しては再三繰り返し私の称える処の論説で有るが、文字は二次元(平面)書は三次元(立体)。文字は記録及び伝達機関即ち用を足りれば其れで良いので有る。書に及んでは美が伴うもので有らねばならない。生命感の有るものでなければ書とは言えない。此の区別さえも出来ないのが現在社会に於ける一般の人々の常識で有る。歴史は正しく前進せるものであらねばならない。決して退歩するもので有ってはならない。

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