宮澤秀巖

語録集「一への観眼認識」

語録集

故宮澤秀巖先生が遺したお弟子様への師事語録の一部。
美術品、芸術品の定義。書の次元の完成。現代日本において失われた教養への警鐘など、
秀巖先生の書に対する探究・究明の姿勢が窺えます。

「一への観眼認識」

宇宙空間に於ける原理原則は有であり無である。色即是空。有も無も高度なる人間的者の認識観眼を大乗的見地に立脚し解するなれば有無は一なるもの、と解せるのが釈尊の主張。アインシュタインは宇宙空間に於ける現実実態は表裏上下暖寒長短高低厚薄硬軟等々。視覚触覚味覚の界に於いても物理的見地から称え上げれば、すべて相対なるもの。據って相対現象を単に物理的に解観するなれば二を根源とする理も成り立つ。而し之は四次元迄の認識で、五次元及び六次元の界からは一プラス一は必ず二に成ると云う論は成立しない。一プラス一はゼロとも成ればマイナス一とも成る。之は現実界の現象実態で有る。

幽妙界は現在の一般物理化学の領域内認識では、理解至難の界で有る(幽妙界は六次元の界)。
カントは表は表として其処に置き、裏は裏として其処に置き、之を外から多角的角度より眺め、視野に納め、純粋に理性的に凝視。其の上に立脚して批判しようとした。道元は達磨の禅思想と姿を我がものに取り入れ、釈尊の大乗思想を基とし悟道に入る。禅は無相の界に心を統一。宇宙空間上に於ける入間としての為す可き行為を内面的角度より追求究明する行で有る。

空海は原始仏教源に密教の哲を見ひ出し、究極の究明追求を為す。密教的祈祷には無知識者の娑婆界に於いて、摩訶不思議の現象を顕す事も有る。故に人心を撹乱さす事も往々にして有る。仏教教団に於いては数百の戒律が有る。エキスを十戒に絞る。霊長者たらむとする者の最低限厳守す可きを説く。現代は一部の戒を取り上げ、恐怖及び不幸発生源に結び付け、密教的加持祈祷等々と合せ、人の苦しみ悲しみに付け込むイカサマ者も現れて居る。神道界に於いては、六根清浄勤行の項に、六根清浄なれば五臓安寧。五臓安寧なれば天地の神と同根一体、と示さる。即ち清浄を求め安寧秩序を願う道の尊さを説けり。

アインシュタイン以外の思想家はすべて一を基とす。書の道書の技臨書創作の界に於いても、四宝との一体、心と手との一体、森羅万象より学び得、森羅万象との一体。長々と哲学者を例に取り上げ乍ら説くるは、書の道の究極真髄の学び方、求め方を説かむとせるもの。即ち二を一とする義を説くるに過ぎない。書道とは、書写では無い。お習字では無い…。見ても観れず、聞こえても聴けず、之が凡人の姿である。

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